短編/未来 恋人気分で



Shyrock作





本編はフィクションです




第1話


その夜は偶然未来と出会った。
大学から一番近いバス停で、講義を終えて帰宅の途についた私を見つけた未来が、声をかけたのが今夜の始まりだった。

「助教授」
「えっ、あぁ、三条さん」
「こんばんわ~」
「やぁ、こんばんわ」

未来は苗字を三条と言い、私の講義にいつも熱心に耳を傾けてくれている法学部の学生で今年3年生になる。
この前も民事訴訟法に関して詳しく説明を求めてきたことがあった。
将来は裁判官になるのが夢だと言う。
それはさておいて、未来はかなりの美人だ。

「このあいだ色々教えていただいてありがとうございました」
「いや、君の熱心さには感心したよ。将来裁判官も夢じゃないよ」 「まぁ、助教授、そんなことを。でも助教授にそういわれたらすごく嬉しいです。自信に繋がります」

私は熱心な未来の態度に惹かれ、延々3時間も講釈してしまった。
それでも未来は目を爛々と輝かせ私の説明に聞き入っていた。

バスが来るまで時間があった。
乗るバスは違っていたけど、バス停は隣同士だった。

「三条さんは一人暮しだったよね」
「はい、そうですよ」
「私も大学時代1人暮らしをしていたけど、1人暮らしって大変だろう?」
「そうですね。でも1人だと気楽だし、そんなに気にならなくなりました」
「今日は帰って一人で食事なの?」
「ええ」
「自分でつくるの?」
「そうですよ」
「もしよかったら、食事でもいかがかな?偶然ここで会ったのも何かの縁だし。そうそう、ここから少し行ったところにいい雰囲気のカフェが出来たみたいで、一度行きたいと思っていたんだ。もちろん奢らせてもらうし付き合わないか?」
「う~ん」

未来は頬に手を添えて考え始めた。
もしかしたら考える時のいつもの仕草なのかも知れない。
考える仕草がとても可愛い。

「じゃぁ、助教授、お願いします」

未来はにっこりと微笑んだ。

大学前の並木道を東へ10分ぐらい歩いたところに目的のカフェがある。
マンションの1階で、以前は時計店が入っていたように記憶しているが、いつのまにかカフェに替わってしまった。

「女性の裁判官っているんですか?」
「もちろんいるよ。最近はかなり増えてきた」
「やっぱり弁護士になる人が多いのでしょうか?」
「女性は弁護士志望者のほうが多いようだね」
「ふ~ん、そうなんですか」

未来はキャンドルの灯りの向こうで、カクテルグラスを前に微笑んでいる。

「この店いい雰囲気ですね」
「落ち着いた感じだろう?」
「すごく大人っぽい感じ」
「アダルト気分かな?」
「そうアダルト気分」
「それに」
「それに?」



第2話


「まるで恋人と来ているみたいな」
「え?ほんと?」
「あ、そうでした。助教授と来ているのを忘れてました。あはは」

未来には少し惚けたところがあるが、それがまた彼女の持ち味でもあるのだろう。

「そのまま忘れておけば?」
「そうは行きません。助教授は助教授ですから」
「そうか。残念」
「何が残念なんですか?」
「なんとなく」
「なんとなく・・・ですか」

時計はまだ7時を少し回ったばかりだ。
店内はカップルよりも女性同士が多く早くも賑わいをみせている。
窓は全て透明ガラスで設えてあり、表通りの風景が全て映し出されている。
店の中は濃いブラウンに統一され、ほどよく間接照明が店の風景を映し出している。
店の演出がそのような錯覚を未来に与えたのだろうか。
それとも、恩師に対する一種のお世辞だったのか。

私はそんなことを考えながらバーボンのロックに口をつけた。
未来もさらさらと長い髪を少しかきあげた後、カクテルに少し口をつけた。
カクテルグラスの中の氷がゆっくりとターンする。

頼んでいた料理もいつのまにか来ていた。

「さあ、食べようよ」
「はい、いただきます」

未来は大皿に盛られたサラダをフォークで小皿に取り分けた。
器用な手つきの未来の指先に眼が移った。
白くて細い指。
私は徐々に目線を上げた。
白いブラウスの衿と衿の間に白い肌が見え、シルバーのネックレスが輝いている。

私はまたバーボンを一口飲んだ。

未来は私の目線を感じたのか、少し照れたような表情で微笑んでいる。

「三条さんは彼氏いるの?」
「え・・・?今、いません・・・」
「今・・・ってことは、少し前はいたんだ」
「はい、いました。でももう終わりました」
「あ、いけないこと聞いたね。ごめんね」
「いいんです。私、からりとしていますから」
「いつまでも引き摺らないほうなんだ」
「そうかも知れません」
「その方がいいと思うよ」
「そうなんですか?」
「だって過去は何も生み出さない。未来は無限の可能性を秘めているもの」
「確かにそうですけど」
「ふうむ?」
「でも薄情で冷たい女みたいじゃないですかぁ」
「ははは~。そんなことないよ。冷たいということでは無いと思うよ」
「そうですか。それならいいんですけど」
「それに」
「それに?」
「三条さんの名前は未来(みき)なんだから」
「あはは、そうでしたね。私は未来でしたぁ。あはははは」
「ははははははは~」



第3話


「助教授、私の名前を憶えてくださってたんですね」
「もちろんさ」
「嬉しい」
「可愛い子はすぐに憶えてしまうんだ」
「まぁ。でもそんなお世辞言っても何も出ないですよ」
「お世辞じゃないって」
「本当ですか?」
「そうさ」

未来は微笑みながらカクテルに口をつけた。
氷がカタッと動いた。
私の視線は未来の唇に向けられた。
淡くピンクに塗られた唇が濡れて輝いていた。

未来はそんなにアルコールは強くないだ。
頬が薄く赤みがかってきている。
未来は私の視線に気づいたのか、頬に手を当ててはずかしそうに微笑んだ。

その時、照明が反射してシルバーのネックレスがきらりと光った。 私の視線は唇から胸元へ移った。
春とは言ってもまだ肌寒い日が多いのに、未来は早くも胸元の大きく開いた服を着ていた。
ずっと無言で見つめているわけにも行かないので、思いついた言葉でつぶやいた。

「寒くないかい」
「大丈夫ですよ。むしろ顔がほてってぽ~っとしてきました」
「酒はそんなに強くないようだね」

その時、白いシャツにきちっとネクタイを締めたボーイが「お待たせしました」と、別の料理を運んできた。
テーブルに料理を置いたボーイは軽く会釈して立ち去った。
少し間合いが開いた後、未来が先程の話をつないだ。

「すぐに酔ってしまう子は嫌いですか?」
「いや、介抱し甲斐があるから好きかも」
「え?酔ったら介抱してくださるんですか?」
「いや、うそうそ」
「な~んだ」
「なんだ、ってまるで残念そうだね」
「はい、少し残念かもです」
「じゃあ、本気になろうかな?」
「え~?本当ですか?じゃあ酔いつぶれちゃおうかなぁ?」
「ははははは~。なんかだんだん危ない話になってきたねえ」
「そうですね。でも楽しいです」
「私もだよ。三条さんと語っているとすごく楽しいよ」
「そうなんですか?」

未来は嬉しそうににっこり笑った。
私も3杯目のバーボンを飲みながら微笑を返した。
いい雰囲気だ。

時計が午後9時を少し回った頃二人は店を出た。
彼女の肩に上着をかけてやりながら言った。

「ここからだと、君の家まで歩いて20分ぐらいじゃないかな?もしよかったら歩かないか」
「はい、いいですね。少し飲み過ぎたみたい。風が気持ちいいですわ」
「じゃ、歩こう」
「はい」

並木道を東へふたり肩を並べて歩き始めた。
ふたりは話に夢中になってしまって、無意識のうちに交差点を渡ろうとしていた。
信号の青が点滅し赤に変わろうとしていた。

先に気づいたのは私だった。

「三条さん、信号が変わりそうだよ」
「あ、ほんとだ」

私は未来の腕を掴んで横断歩道を小走りに渡った。



第4話


「びっくりしたあ。全然気がつかなかったぁ」

渡り終えたこともあって、私は掴んでいた未来の腕をほどいたのだが、今度は未来が私の二の腕を取り歩き始めた。
私は未来の突然の行為に少し驚きながら同じ歩調で歩いた。

軽く腕を組んだ未来の細い腕の感触が暖かい。
何か急速に親しさを増したような気がした。

「今夜は偶然三条さんと出会えて、偶然ハッピーなデートが出来たよ」
「私も助教授とデートできてとても楽しかったです。また誘ってくださいね」
「うん、いいの?」
「はい」

未来は屈託のない笑みを返してきた。

いくつかの信号を越え未来のマンションに近づいてきた。

「あっ、そこ右なんです」

角を曲がると瀟洒な雰囲気の白壁のマンションが見えてきた。
少し南仏をイメージさせるような外壁はとてもお洒落だ。

「本当に今日は楽しかったです」
「私も楽しかったよ」
「送ってくださってありがとうございました」
「じゃあ。これで」

立ち去ろうとした私の後ろから未来が声をかけた。

「寒くないですか」

私が振り向くと未来はもう一度言った。

「寒くないですか」

私は答えた。

「ああ、少しね」
「もしよかったら、コーヒーを飲んで行きませんか?」
「・・・」

私はすぐに返事はしなかった。
いや、出来なかった。
この先の世界に足を踏み入れることが、もしかしたら、これからの未来の運命を変えてしまうかも知れないと思ったから。
それは単に思い過ごしかも知れない。
雑談をしてわずか30分ほどでそそくさと帰れば何でもないのだから。
しかし、それだけでは終わらないような予感がした。

「助教授?」
「う、うん」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。よし、それじゃ三条さん特製のコーヒーをご馳走になって帰ろうかな?」
「あ!」
「どうしたの?」
「部屋、散らかったままだった」
「そんなの別に構わないよ」
「構いますぅ。助教授は5分だけエントランスホールで待っててください。すぐに戻ってきますから」

未来はそういってエレベーターに飛び乗った。

私はエントランスホールの窓から外を覗いた。
植込みには赤紫のスターチスの花が咲きほこり、春の夜風に吹かれて気持ち良さそうに揺れていた。





















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