第1話
俺(野亜憲一 30歳)はその夜、ひどく酔っていた。
今月末に退職する先輩の送別会に参加した後、二次会、そして三次会とハシゴをして、すっかり酩酊してしまっていたらしい。
それでも最終電車を降りてから、結婚して3年目の妻が待つ自宅のマンションへふらつきながら歩いて帰ったことはしっかりと記憶している。
ただ徒歩10分がやけに長く感じたのは、酒のせいだったのだろう。
マンションのエントランスホールから、俺はいつものようにエレベーターに乗った。
ボタンを押す。
14階建ての8階に俺の住処がある。
今夜送別会で帰宅が遅くなるかも知れない、と妻には言ってあるから、たぶん先に眠っているだろう。
夫の帰りをいつまでも寝ないで待つ妻も世間にはいるが、俺は「帰宅が遅い時は先に休んでてくれ」と常々言っている。
ウィ~ン……
夜のしじまにエレベーターの上昇を告げるモーター音だけが響く。
ガタン……
着いた。
俺はエレベーターを降りて、北側に面する長い廊下を歩いた。
手前から3軒目が俺の家だ。
俺はおもむろに鞄から鍵を取り出した。
鞄に直していてもすぐに分かるようにキーホルダーに着けてある。
俺には似つかわしくないサン○オのキャラクターと言うのが笑わせる。
正直恥ずかしくて付けたくないのだが、妻からもらったものだから仕方なく付けている。
鍵穴に子鍵を差し込んだ。
カチャ……
鍵が開いた。
俺は妻を起こすまいと思い、静かに玄関ドアを開いた。
中は真っ暗だ。
扉を閉め、そっと足を忍ばせ玄関に入った。
暗くても勝手の分かる俺の家だ。
紐靴だが面倒なので、そのまま紐を解かずに脱ぎ捨てた。
酒が入ると細かな動作がつい億劫になってしまう。
廊下の灯りを点けないでそのまま妻のいる部屋へと足を忍ばせた。
俺の家は2LDKで、妻と俺でそれぞれ1室づつ使っている。
ただしダブルベッドが俺の部屋に置いてあり、就寝時だけはいつも妻が俺のところにやって来る。
照明が消えているので、妻はすでに夢の中なのだろう。
俺はそっとドアを開けて、音を立てないようにしながら部屋に入っていった。
真っ暗で何も見えない。
暗闇の中で耳を澄ますと、微かな寝息が聞こえてきた。
妻はすでに熟睡しているようだ。
俺はネクタイに手を掛けた。
早く解きたい。
仕事中は気にならないネクタイだが、不思議なことに、帰宅すると急に窮屈に感じてしまう。
酔いがかなり廻っていたせいもあって、オレは無意識のうちに衣服を脱ぎ散らかしていた。
(ふう……ちょっと飲み過ぎたなあ……)
いつもなら、少々飲んだくれてもシャワーだけは浴びてから寝るのだが、その夜はシャワーすら面倒に思えた。
とにかく早く横になりたい。
俺はいつものようにパンツ1枚になると、妻の眠っているベッドの中にもぐり込んだ。
(はぁ……やはり酒のチャンポンは良くないみたいだなあ……ビールと焼酎をたらふく飲んで、その後、二次会でブランデーをかなりやってしまった……)
俺は何種類もの酒を飲んでしまったことを反省しながらも、目を閉じて眠りの途に就こうとしていた。
すると、妻がごそごそと動き出し、パタンと俺の方に寝返りを打ってきた。
俺がベッドにもぐり込んだために、深い眠りが解けてしまったのかも知れない。
俺は妻を起こしてはならないと思い、再び、目を閉じた。