(改)










<登場人物>

・村山弘一(通称:muhi) 29歳

・杉浦百合 23歳

・栗村陽子 24歳

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 海岸線、静かな週末、九月の声を聞くとさすがに人影は少なくなる。
 夏のピーク時にはおそらく家族連れや若いカップルで賑わったことだろう。
 村山弘一は杉浦百合とともに海辺のカフェに来ていた。

 陽が当たる窓際のテーブルからは、遠く水平線が見えている。
 小さな白いテーブルには弘一と百合が向かい合って座っていた。
 百合は弘一のほうに目をやることもなく、ずっと海を眺めている。

 時が静かに流れている。
 やがて、ウェイトレスが「お待たせしました」の言葉を残してドリンクを置いて行くまで、百合はずっと海を見ていた。
 百合はトロピカルドリンク・スウィートキッスに一口唇をつけると、そのまままた海を見続けた。

(今日の海はそんなに魅力的なのだろうか……)

 弘一はふと視線を海へと移した。

 その時始めて弘一は気づいた。
 この店に入ってからずっと百合を見続けていたことを。
 そして気がつくと、今日の海に魅力を感じることもなくまた百合を見続けていた。

(それにしても、陽子に似ている……)

 弘一は百合の横顔を見ながらそう思った。

 百合とつき合い始めてから二年の時が過ぎようとしている。
 そして、陽子と別れて三年が過ぎた。

(やっぱり、陽子に似ている……)

 弘一はつくづくそう思った。
「似ている」……と思ってしまう感情だけは弘一の脳裏から消えそうになかった。
 それほどまでに百合と陽子はよく似ていた。

(百合とつき合い始めて、そう思いながらどのくらい百合を見続けただろうか)

 弘一はアイスオーレのストローに口をつけながらふと思った。

(いけない……百合は百合じゃないか……)

 百合はもう一度スウィートキッスに口をつけることもしないで、ずっと海を見続けている。
 すると雲の切れ間から窓越しに陽射しが差し込み、百合の柔らかそうな頬を照らした。
 弘一はそのコントラストがやけに美しいと思った。
 店内でなければシャッターを切りたいほどだ。
 そう、百合は時々弘一の写真モデルになってくれる。
 弘一が被写体にカメラを向けるときは、それがたとえ恋人であっても、ファインダーの向こうに見えるものは一人のモデルなのだ。

 陽子は一流のモデルだったが、百合はそうじゃない。
 ごく普通の女性だ。
 だが、美しさでは全く陽子に引けをとらない。

(あ、いけない。俺はまた2人を比べている……)


第2話

 かと言って、『瓜二つ』と言うほど、顔がそっくりというわけではない。
 確かに似てはいるのだが。
 陽子の方がシャープな顔立ちで、百合はほっぺが少しふっくらとしている。
 ただ切れ長の涼しそうな目元はすごく似ている。
 また、百合が持ち合わせている雰囲気が、陽子の生み出す空間とあまりのも酷似していた。
 弘一はその空間に接する度に陽子のことを思い出していた。

 いけない、また、陽子と百合をくらべている。
 不謹慎じゃないか。
 そして百合に対して失礼じゃないか。
 弘一は初めのうち少なくともそう思い止めて、陽子のことを脳裏から消そうとした。
 でも、それは無駄なことだった。

 今でも陽子は弘一の中に強くイメージされていて、何をする時も彼女を思い出してしまう。
 弘一は最近諦めていた。
 努力をしたって消せないものは消せないのだからと。

(だけど百合を愛するならば、陽子のことは忘れなければならない。百合は今の俺にとってなくてはならない存在なのだから。そう、陽子よりもだ)

 百合がようやく二口目のスウィートキッスを飲んだ。
 ストローを持つ仕草までが陽子に似ていると弘一は思った。

 不意に百合の視線が弘一の方に蘇った。

 弘一はその時始めて今日の百合がいつもと違うことに気づいた。
 心なしか瞳が灰色がかっているように見えた。
 表情がどことなく硬い。

(今日、百合のマンションに迎えに行った時からずっとそうだったろうか)

 弘一は朝、百合と会った時からこの時間までの記憶を呼び戻してみた。
 その答えは直ぐに見つかった。
 そして少し悲しくなった。
 いつもの百合よりも口数が少なく、そして、表情が少し暗いことに気づいたのだった。

 つき合い始めて二年も経てば、誤解から幾度となく喧嘩もあった。
 別れそうにもなったこともある。
 でも誤解も解け、どうにかここまでやって来た。
 しかし……
 しかし、今日はふたりの間に誤解などなにもない。
 まるで今日の穏やかな海のように静かな週末だった。
 それがむしろ弘一に不安を与えた。

 どんなことでも原因が分かれば不安というものは薄らぐものだ。
 だが、逆に原因が不明確な場合は不安にいっそう拍車が掛かる場合がある。

 深い沈黙を破って、最初に口火を切ったのは百合の方だった。

「あなたと初めて出会ってからもう二年になるわね」


第3話

「あぁ。来月で俺は君の誕生日を二回祝うことになる」
「私もあなたにバースデイプレゼントを二回渡したわ」
「そう、一回目はクラシック音楽に偏見を持つ俺に怒って贈ってくれた三枚のCDだった」
「でもあなたは結局一度も聴かなかったわ」
「そんなことないよ。一度だけ聴いたさ。そして二回目は、俺のネクタイが地味だと言ってくれたとても派手なネクタイだった」
「でもあのネクタイは次に会った時、着けて来てくれたじゃないの」
「そりゃあ、まあ、着けるさ」
「うふふ、お義理で着けてくれたのね?」
「そんなことはないけど」

 弘一は百合から目を逸らし海を見た。
 海は何も変わりはなかった。
 さきほどまでは百合がずっと見続けていた海がそこにあった。

 百合はスウィートキッスを一口飲んだ。
 弘一はまた百合を見た。
 ふっと、百合が顔を上げて弘一に語りかけた。

「あなたは私を見てないわ」
「え……?」
「いえ、もっと正確に言うと、私を通して、私の後ろに見える女性を見ている……」

 決してきついわけではないが、はっきりとした口調で言った。
 弘一は百合の言葉にかすかな驚きを示したが、言葉は何も返さなかった。

「あなたはいつも私を見ている。でも、私はずっと考えていたの。どうして遠い目で私を見ているかってことを……」
「……」

「私の苗字は杉浦。あなた、私の母の旧姓を知ってる?」
「いや」
「『栗村』っていうの」

 弘一はまるで推理小説の謎ときを聞いているように思った。
 百合がアルキュール・ポアロ、弘一は犯人。
 百合の口から母親の旧姓が語られた時に答は見えていた。

「母の姉の娘に陽子という人がいるの。私よりもひとつお姉さん。幼い頃、近所に住んでいたのでよくいっしょに遊んだわ。それでね、友達や近所の人たちから双子と間違えられたの」
「……」
「先月、親戚の結婚式があって、陽子と久しぶりに合ったの。その時も親戚中で似ていることが話題になったの」
「……」

 弘一は肯きもしないで、ただ黙って百合の話を聞いていた。
 百合と陽子を結ぶ一本の赤い糸、それが弛むこともなくピンと張りつめた。
 さらに、次の百合の一言が、ついには弘一をも含めて絡み始めたのだった。

「陽子はあなたのこと、よく知っていたわ」


第4話

「……」
「陽子があなたと同じ大学だったから、何気にあなたのことを知っているかどうか聞いてしまったの。陽子は楽しそうに、いいえ、でも決して、つき合っていたとは言わなかったけれど。楽しそうにあなたの事を話してくれた」
「……」

 弘一は目を逸らすこともなく、不思議と百合を見続けていた。

「私はあなたと友達のふりをして、あなたのことを聞いてみたの。すると陽子は驚くくらいあなたのことを知っていた。私が知らない、あなたが余り喋りたがらない昔のことをたくさん……」
「……」
「あなたが仕事を選んだ理由も知っていた。東京が嫌になって故郷に帰ったと言うことも、そして、いまあなたがこんなに落ち着いているのが昔燃やした情熱のリアクションだろうとも言っていた」
「……」

「わたしは驚いたわ」
「……」
「もちろんよね、この世の中で、一番あなたの事を知っているのは私だと思っていたから」
「……」

「陽子は私の倍知っているわ」
「いや、そんなことはないよ。君の方が良く知っている。陽子は君の知らないいくつかのことを知っているだけだ」
「その時は私の知らなかったあなたの過去を知って驚いただけだった。でも、一日経って、私にひとつの疑問が生まれたの……」
「……」
「それはあなたが私を見ているのは陽子に良く似た私じゃないかって。私を媒体にして陽子を思いだしているのじゃないかって」
「……」

「そしたら、もうダメだった。あなたを信じられなくなってしまった……」

 百合は泣かなかった。
 芯の強い女性なのだろう。

「わたし、あなたの遠い目が好きだった……」
「今でも……とは言ってくれないのか?」
「陽子は今、あなたを懐かしがっているわ」

 百合はもう、弘一の言葉など全く聞いていなかった。

(俺はこんな良い子とまた別れなければならないのか。悲しいことだ……)

 弘一は百合をじっと見つめた。
 そこには陽子は存在していなかった。

(俺はばかだなあ。こんな場面になってから百合を、陽子とは違う百合のことを見つめようとしている)

「あなたはもう私の誕生日を祝えないわ」
「……」

 百合は何も言わずに立ち上がり俺に視線を向けることもなく店を出て行った。
 後ろ姿をひとしきり見送った後、弘一は海に視線を落とした。

 百合の後ろ姿を、百合の語り口調を、そして別れ際を回想してみた。

 海の彼方に浮かんだ百合の顔と陽子の顔が重なって見えた。























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