「ねぇ」
「なに?」
「ねぇ」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないの」
俊介は再び読み掛けの単行本に目を戻す。
「ねぇ」
「うん?」
「ねぇ」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないの」
惠は俊介の顔をちらりと見て俯いた。
「ねぇ」
「何なの?」
「ねぇ」
「どうしたんだよ。用も無いのにすぐに僕を声を掛けて。いつもそうなんだから。ふふふ、変な子だなあ」
俊介は苦笑いをしながら、惠の額を指で小突いた。
「だって……」
「うん?だって??だってどうしたの?」
「だって、ちっとも構ってくれないんだもの」
惠はほっぺをぷうっと膨らせて拗ねた。
「あぁ、ごめんね。今一番いいところなんだ。ちょっとだけ待っててね」
「いいわ、もう……」
惠は膨れっ面から、ちょっと悲しそうな表情に変わった。
俊介は本に栞も挟まないで、床の上に無造作に置いた。
「俊介、ごめん、ごめん。そんなに怒らないで。ね?」
どうして彼女がそう言うようになったのか、どうして言うのか、彼女の昔からの友人も知らない。
ただ分かっているのは、彼女が21になった年の秋頃から言い出したらしいこと……。
最初は気になったこの会話も、今は俊介の生活の中の季語になっている。
「ねえ」
毛糸を編む手をふと止め惠は中空を見上げるとそう言う。
「うん?」
俊介は文章を目で追いながら答える。
「ねえ」
惠がまた言う。
「なに」
俊介はゆっくりと答える。
「何でもない」
惠はまた編物を編み始めながらそう言う。
俊介は相変わらず本を読んでいる。
遠くでお湯が沸き上がった音がする。
惠は編み掛けのセーターを篭に戻すと、ホットコーヒーを2杯入れるために台所へと立つ。
街角に早くもクリスマスソングが流れる11月中頃、同じシーンがこの部屋で繰り返される。
そう、去年と同じように。
完
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