惠 一期一会



第26話“京都南インターから”

「もう一度会いたい」と言う言葉が喉まで出かかったけれど、私はぐっと堪えました。
 惠が一人身なら、何のためらいもなく誘っていたでしょう。
 しかし、惠は人妻、夫のある身です。
 彼女を愛せば、きっと彼女を苦しめることになるでしょう。
 私も当時すでに35歳とそれなりの分別を持ち合わせる年齢になっていました。
 お互いに恋愛ではなく遊びと割り切って付き合う、それならばできたかも知れません。
 でも惠とはそんなことはしたくない、いや、できないと思いました。

 その後も、ふたりの会話は弾むことなく途切れたままでした。
 惠は時折、私の方へちらちらと視線を送ってきました。
 私は何だか息苦しくなって、テーブルの水を飲みました。
 今どんな言葉が相応しいのだろうか…私は言葉を探しました。
 でも適切な言葉は見つかりませんでした。

 沈黙を破ったのは惠の方でした。

「裕太はん、ほな、ぼちぼち京都へ帰りまひょか」
「あ…はい……」

 その言葉はごく当たり前の言葉なのですが、どこか寂しい響きのある一言でした。

「ここのお茶ぐらいは僕におごらせて」
「そんな気ぃ遣わんでも、よろしおすぅ」

 支払おうとして持っていたレシートを、惠はあっさりと私から奪い取ってしまいました。
 昨夜の宿泊代をはじめ二日間に要した費用の例え半分でもこちらに負担させてくれと申し出ましたが、惠は一切私に負担させませんでした。
 あくまで自分のわがままでタクシーを乗り回しあなたを振り廻したのだから、負担するのは当然客の方である、と言って一切取り合おうとしませんでした。
 そればかりか、昨日預かったタクシー代の5万円に加え、今朝、今日の分だと言って新たに5万円を差し出しました。
 いくら長距離走行だとは言っても、京都・宝塚間で往復10万円はもらい過ぎなので、惠が降車する時に清算して残りを返そうと思っていました。

 私は国道176号線から宝塚インターへと向かいました。
 来たコースをそのまま逆に走るだけです。
 一部交通渋滞はありましたが、比較的スムーズに流れていました。
 西宮インターに差し掛かった頃、ふと惠が、

「やぁ、もうこんな時間どすがな。どっかでお昼せんとあきまへんなぁ」

 ふと時計を見ると針は正午を指していました。
 私は軽い口調で、

「ほんとだ。もうお昼だ。どこか寄って行きます?」

 と尋ねると、惠は、

「やぁ、まだうちと付き合うてくれはるんどすか?嬉しいわぁ。ほな、高速降りたら、うち、ええとこ案内しますよってに」
「へ~、どんなところなんだろう?楽しみだなあ」

 私は内心、店の良し悪しや食事の味よりも、例え1時間でも1分でも長く、惠といっしょにいられることが嬉しいと思いました。
 高速道路を降りてからは惠が道案内人でした。
 クルマは京都市北区の衣笠へと向かいました。
 高い建造物がなく落ち着いた風情の美しい街並みが連なっています。
 少し行くと世界遺産としても有名な金閣寺が現れました。
 惠は金閣寺の山門から少し南へ下るように言いました。



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