惠 一期一会



第7話“宝塚の宿”

 ふたりの会話中、仲居が女性に挨拶をしようとずっと待っていたので、私は仲居に「もうすぐお客様に入っていただくからもう少し待ってね」と伝えました。
 仲居はこちらがまだ取込み中だと察したのか、一礼して一旦旅館内へ消えて行きました。

『もう少し付き合ってくれ』という女性の一言をどのように解釈すればよいのでしょうか。

(もう少しドライブを愉しみたい?)
(宝塚の街をいっしょに散歩したい?)
(それとも室内で……?)

 よこしまな期待が私の心をよぎりました。

(いくらなんでも……こんな良家の人妻が今日初めて出会った見ず知らずのタクシードライバーなんかを……そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ないよなあ・・・)

 不埒な想いが一瞬よぎったものの、直ぐに自ら打ち消してしまいました。
『もう少し付き合ってくれ』という一言がどんな意味なのか今ひとつ釈然としませんでしたが、私自身の中で『この女性ともう少しいっしょに過ごしたい』と言う気持ちが生まれていたことは事実でした。

 私はごくふつうに、

「結構ですよ」

 と返答しました。

「やぁ、嬉しいわぁ。ほんまによろしおすんかぁ?」
「はい、私なんかでいいのなら、お付き合いさせてもらいます」

 女性をタクシーから降ろし旅館の玄関まで送り届けた私は、仲居の案内に従い旅館の裏手にある駐車場へ停めにいきました。
 駐車場から戻ってみると、女性はすでに玄関ロビーのソファに腰をかけていました。
 こちらを見て小さく手を振っています。
 なにやら照れくさい感じはしましたが、私は笑顔で女性のそばに行きました。

「落ち着いたええ感じの旅館どすなぁ。ええとこに連れて来てくれはっておおきにぃ」

 女性は微笑みながら私に礼を述べました。

「礼なんて言わないでくださいよ。宝塚で知っているのはここだけですし。でも、気に入ってもらえてよかったです」
「なんか寛ぐわぁ」
「きっと気分転換になりますよ」
「ほんまやねぇ」

 ロビーでそんな会話を交わしていると、部屋の担当らしき仲居がやってきました。

「おおきにぃ。ほなよろしゅうに」
「お客さんは京都から来られたんですか?」
「そうどすぅ」
「道理で物腰が柔らかいと思いました」
「そうどすか?」
「和服もよくお似合いですね」
「おおきにぃ」

 少し廊下を歩くとエレベーターホールがありました。
 エレベーターに乗ると、仲居は7階を示すボタンを押しました。
 最上階のようです。

「今日は平日ですので、良いお部屋にご案内できますよ」
「一番てっぺん?」
「はい、そうです。六甲も一望できて景色も最高ですよ」
「やぁ、うち、嬉しいわぁ」

 女性はまるで少女のような笑顔を見せました。
 自分の気持ちを素直に表現できる人なんだな、とその時思いました。



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