第1話

(カキ~ン!)

 ボールは鮮やかな弧を描いて真っ直ぐにマークポイントまで飛んでいった。

「ナイスショット!」

 フォロースルーの状態で弾道を見つめるまりあの後方から男性の声が飛んで来た。
 まりあは振り返って、ニッコリと笑顔を返した。

「阿部さん、かなり上達しましたね」
「まあ、嬉しいですわ。先生にそういって貰えると」

 阿部まりあ(27歳)は、2ヵ月前からゴルフ練習場に通い始めていた。
 結婚して2年になるが、夫の静雄(34歳)が多忙で毎晩帰りが遅く、会話を交わす機会も少なくなっていた。
 当然、夜の営みもかなり間隔が開き、たまにまりあの方から求めた時も「疲れてるんだ。眠らせてくれよ」と言って求めに応じないことも多くなっていた。
 新婚2年目ともなれば、新妻も性の歓びを謳歌する頃なのに、夜の営みが遠ざかってしまうと、燃える身体を持て余しつい自らを慰めることもしばしばあった。
 まりあはそんな日頃の鬱積を晴らすためにゴルフを始めたのだった。
 スポーツジムに通うことも考えたが、室内ではなく太陽の下で気分を発散したいと思った。
 まもなく友人の紹介もあって、市内のゴルフ練習場に通うことになった。

 まりあを担当したのは車本光一(29歳)というインストラクターであった。
 どこかしら一世を風靡したジャニーズ系音楽デュオの一人に似ているように思えた。
 ただ車本の方がもう少し渋く、大人っぽい雰囲気が漂っていた。

 まりあは球を100発ほど打ち込んだ後、小休止した。
 滝のように流れる汗を拭きながら、熱心に車本の講義に耳を傾けた。
 今日の講義は『フォロースルー』についてである。

「フォロースルーは、インパクト以降、両腕がほぼ地面と平行になるまでと定義しています。インパクトのレッスンで説明しましたようにフォロースルーは、ダウンスイングから始まる上体の捻転の解放の連続運動の延長であり、クラブはインパクト後もそれまでの勢いそのままにスイングを続けます。したがって、フォロースルーにおいて、何かを意識するということは、意図的にボールを右、あるいは、左に曲げようとする時以外はありません。もし、ドローボールを打とうとするなら、クラブフェースを早めにクローズにしなければなりませんし、逆にフェードボールを打つ時は前腕の回転を遅らせぎみにしなければなりません」
「……」

 まりあとしては正直言って車本の講義は少し難しかった。

「じゃあ、ちょっとクラブを握ってみてください」
「はい」

 口頭での説明よりもやはり実践に限る。
 まりあは5番アイアンを握った。
 背後に車本が回り込み、まりあの腕を掴み説明を始めた。

「阿部さんの場合、スイングした後、このように右肩が下がってしまうんです」
「そうなんですか」
「そこのところを直さないとなかなか上達しませんよ」
「はい……」

 車本が急接近したことによって、彼の胸がまりあの背中に触れた。

(わっ……)

 着痩せするのか一見細く見えるが、想像よりも遥かに筋肉質だ。
 とは言ってもボディービルダーのようなマッチョではない。
 そんな車本が耳元で囁くように説明するものだから、息遣いまでが伝わり妙な気分になってくる。
 まりあは何だか恥ずかしくなってしまった。
 息が掛かるほど至近距離で囁かれたことなど最近はほとんど記憶がない。
 決してうなじを愛撫されてるわけではないのだが、まるで男性から愛撫を受けているような錯覚に捉われた。
 そのせいもあって、せっかく車本が熱心な指導をしてくれているのに、まりあの耳にはほとんど入っていなかった。

「要はボールをヒットさせようなんて思わないで、振り抜くイメージでショットすれば驚くほど良くなるんです。分かりましたか?」
「え?あぁ、はい…分かりました……」

 まりあは少し遅れて間の抜けたような返事をした。
 車本はまりあが真剣に説明を聞いていないことをすぐに察知したが、それについては一切触れなかった。

「少し疲れたようですね」
「はい、少し……」
「じゃあ、今日のレッスンはあと50発打って終わりにしましょうか」
「はい、分かりました」
「あ、そうそう。今週の金曜日、僕の友達夫婦といっしょにコースを回ることになってるんですけど、もし良かったらいっしょに回りませんか?」
「え?私などがおじゃましてもいいのですか?」
「ええ、来てくださるならとても嬉しいです。実はメンバーに矢野プロが入っていたのですが、急遽オーストラリア遠征が決まってその準備のためということで断って来たんですよ。で、穴が開いちゃって……」
「でも車本先生をはじめ、皆さんお上手な方たちばかりでしょう?私なんかが混じるとリズムが狂っちゃうんじゃないですか?」
「いえいえ、それはないですよ。友人夫妻と言うのはどちらも別にプロゴルファーじゃないんです。旦那の方が学生時代の友人で今はふつうのサラリーマンなんですよ。だからレッスンとかそんな堅苦しいものじゃなくて気軽に回りませんか?スコアなんて関係なしで」

 まりあは車本の誘いを素直に喜んだ。
 ゴルフのレッスンを受け始めてから、一度だけ友人たちとコースを回ったことがあるが、メンバーにこれと言った上級者がいなかったために散々な結果に終わった苦い経験がある。
 やはりメンバーに1人くらいは上級者がいないと、上達は望めないのだろう。

「ありがとうございます。私でよろしければぜひお供させてください」
「えっ!いいのですか?平日だし、どうかな?って思ったんですけど、いっしょに行ってくださると僕も大変嬉しいですよ」
「専業主婦ですし、それに子供がいませんので大丈夫ですよ」
「そうなんですか。これで僕も鼻高々ですよ」
「え?どう言う意味ですか?」
「ええ、実はね、その友人から先日『車本は恋人もいないし、連れてくるのはどうせ男だろう?もしも美人を連れてきたら昼飯を奢ってやるよ』って言われましてね。で、超美人の阿部さんを誘ってみようかと」
「え?超美人?それなら私は役不足ですよ」
「そんなことないです!絶対ないです!阿部さんは絶世の美人じゃないですか!」
「まあ、そんなぁ……それは言い過ぎです……」

 半分は世辞だと思っていても、やはり褒められるのは嬉しいものだ。
 まりあは車本の一言を素直に喜んだ。


Next













Cover
自作小説トップ

トップページ



inserted by FC2 system