(第1話)



野々宮ありさ




第1話「砕けた窓ガラス」

 ありさはあどけない少女のように目を輝かせて、夫の胸に飛び込んだ。

「俊介さん、ありがとう! こんなすてきな別荘で三日間も休暇を楽しめるなんて、夢みたいだわ、お父さまにも感謝しなくちゃ」
「この辺りには渓谷や湖もあって自然の良さが満ち溢れているよ。明日は、シャワークライミングでもするか」
「シャワークライミングって水しぶきを浴びながら川を上っていくスポーツでしょう? 私にできるかな~?」
「だいじょうぶ、ありさは運動神経がよいからきっとできるよ」
「そうかな~。でも本当に嬉しいわ。最高の夏休みになりそう」

 ありさは笑顔で俊介に感謝を伝え、俊介も優しく笑顔で応える。二人の間には穏やかな幸せが満ちていた。

 俊介とありさは、結婚して二年目を迎えていたが、俊介は仕事に忙殺され、日々が仕事の連続であったが、ついに大きな契約を成功させた。その成果への労いとして、父親でもある社長から特別休暇を贈られた。二人は長野県の別荘へと向かい、新婚以来初めての旅行を満喫しようとしていた。
 素晴らしい自然、豪華な別荘。二人は別荘の中庭でハンモックに揺られながら大きく息を吸い、解放感を満喫していた。

 途中のスーパーで買った食材でバーベキュー風の夕食をつくり、二人はまるで新婚旅行に戻ったようにふざけあいながら、楽しいひとときを過ごしていた。ありさは幸福感に満たされ、俊介との笑顔あふれる会話に包まれていた。

「ねえ、ありさ、久しぶりにいっしょに風呂に入らないか。ここの風呂はすごく広いんだよ」

 俊介が誘うと、ありさははにかんで応えた。

「まあ、俊介さんったら……」

 照れてはいるが、まんざらでもなさそうだ。
 俊介がふくよかなヒップを抱き寄せると、ありさは恥ずかしそうに身をくねらせる。
 二人にとって至福の時間が流れていた。
 そんな至福な時間を引き裂くように、隣室から「ガチャン」とガラスが砕ける音が響いた。

「なんだ!?」

 ありさと俊介は驚いて隣の部屋に入ってみると、窓ガラスが割れ、散乱したガラスの中に軟球が転がっていた。

「誰だ、窓ガラスを割ったのは」

 俊介がボールを拾い上げ眉をひそめ、窓の外を見た。
 すでに、あたりは黄昏はじめ、東の空に宵の月がかかっているというのに、2人の若い男がキャッチボールをしている。一人は背が高く、もう一人は背が低い。
 時折、ありさたちに向かってチラチラと視線を向けながら、笑みを浮かべ挑発的な態度を取っている。

「窓のガラスを割ったのは君たちか?」

 俊介は男たちに向って強い口調でたずねる。

「あ~、ごめんね、ちょっとコントロールが狂っちゃって。ボールを返してくれるかな?」

 と、高身長の男からぞんざいな言葉が返ってきた。
 ガラスを割っておきながら、図々しくもボールを返してくれと言う。
 あまりにも非常識な態度に、ふだんは温厚な俊介が怒りを抑えられず語気を荒げた。

「ボールを返してくれと頼む前に、先ずはガラスを割ったことをちゃんと謝るべきじゃないのか? しかも他人の敷地に無断で入ってキャッチボールするとはどういうつもりだ?」

 高身長の男は悪びれる様子もなく、ふてぶてしく居直る。

「だからごめんと言ったじゃねえか!」

 小柄な男も口をとがらせて追い討ちをかけてきた。

「なんだよ、偉そうに! 敷地に無断で入った? 俺たちを不法侵入者扱いするのか?」

 男たちはどうやら大学生のようだ。
 すでにかなり酒が入っているようで、プンプンと匂いを発散させている。

「ガラスを割っておいて、その言いぐさはなんだ! 許さないぞ!」
「しゅ、俊介さん、待って」

 このままだと喧嘩になりそうな勢いの俊介を、ありさは慌てて止めに入った。
 ありさに制止されて、少し冷静さを取り戻した俊介は、今度は穏やかに彼らを諭した。

「君たち、大学生だろう? もう立派な大人じゃないか。敷地内でキャッチボールをしていたことは水に流そう。だけど、ガラスを割ったことだけはきちんと謝ってほしい」

 高身長の男が急に神妙な表情に変わった。

「分かりました。ガラスを割って悪かったです。謝ります」
「すみませんでした」

 高身長の男が頭を下げると、小柄な男もならってペコペコとお辞儀をした。

「いやあ、初めから謝ってくれたら怒らなかったんだ。つい興奮してしまってきつく言って悪かった」

 さらに高身長の男は、ガラス代を弁償したいので窓を見せてほしいと申し出てきた。

「いや、弁償はもういいよ。きっちりと謝ってくれたから。いいよな、ありさ」
「ええ、あなた方の誠意は十分に伝わったので、弁償はもう結構です」

 ありさはやさしく微笑みながら、男たちの弁償の申し出を断った。
 ところが男たちはどうしても弁償しないと気が済まないらしい。

「割っておいて弁償しないなんてあり得ないので、ぜひ弁償させてください。割れた場所を見せてもらえませんか?」

 男たちは割れた箇所を見たいと言ってきたので、俊介とありさは仕方なく男たちを裏側の割れた箇所まで案内をすることにした。



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