第十二章 貝紅(最終章)
ちょうどその頃、浜の方では誰かが沖に向かって大声で呼んでいた。
だが、その声は潮騒で打ち消され、俊介たちに届くことはなかった。
浜辺に立って叫んでいたのは、俊介の伯父と駐在であった。
そしてその横には、屋形の女将と男衆の北山の姿もあった。
北山は喉が張り裂けんばかりに大声で叫んでいた。
「ありさはん!俊介はん!早まったらあかんで~!!はよう、こっちへ戻って来んかい!女将はんがなあ、あんたらの恋を許すてゆ~てはるんやで~!丸岩はんもありさはんの心意気には負けたゆ~たはるんやで~!せやから、死んだらあかんのや~~!!死んだらあかんでぇ~~~!!」
しかしいくら有りっ丈の声で呼んでみても、ありさたちには届かなかった。
「これはぁダメだ。 うらぁぁはすぐに、漁師に舟をぉ頼んでくるわ! 」
浜から呼んでも無駄であると判断した駐在は、慌てて網元の元へ走って行った。
◇
「う・・・うう・・・ありさぁ・・・」
「しゅ、俊介・・・はん・・・」
次第に薄れ行く意識の中で、ありさは俊介と出会った高瀬川でのできごとを思い浮かべていた。
「あの時はおこぼの鼻緒を・・・なおしてくれはって・・・おおきにどしたなぁ・・・。俊介はんと出会えて、うち、ほんまに幸せどしたわぁ・・・」
「ぼ、僕も・・・君と出会えて・・・とても幸せだったよ・・・。だ・・・だけど、できることなら、い、生きて・・・君を幸せにしてやりたかった・・・」
「いいえ、うち・・・今でもこうして俊介はんと寄り添えて幸せどすぇ・・・あの世でいっしょに・・・なりまひょうなぁ・・・」
死の瀬戸際と言うのに、ありさの表情には苦しみの表情もなく、実に穏やかなものであった。
やっと自由を得た歓び・・・
とこしえの愛を得ることのできた歓び・・・
ありさの瞳が閉じ、動きがピタリと止まった。
その時、ありさの懐(ふところ)から色鮮やか蛤貝が水面にポトリとこぼれ落ちた。
それは愛する俊介から貰った大事な大事な贈り物・・・
息が絶える直前まで肌身放さず大切にしていた貝紅であった。
貝紅は寄せては返す波に吸い込まれ、水中へと消えていった。
完
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