官能舞妓物語






髪型 割れしのぶ


第二章 祇園

 今宵始まる生々しい褥絵巻こそが、自分に与えられた宿命であると諦めざるを得なかった。

 祇園界隈に入ると花街らしく人通りも多く、いずこかのお茶屋からは三味の音も聞こえて流れて来た。
 ありさは辻を曲がって路地の一番奥のお茶屋の暖簾をくぐった。

「おはようさんどすぅ~、屋形“織田錦”のありさどすぅ~、遅うなってしもぉてすんまへんどすなぁ~」
「あぁ、ありさはん、雨やのにご苦労はんどすなぁ~」

 ありさに気安く声を掛けたのは、お茶屋“朝霧”の女将おみよであった。

「ありさはん、おこぼどないしたん~?鼻緒が切れてしもたんか?」
「そうどすんや。ここへ来る途中でブッツリと切れてしもて」
「あ、そうかいな。そらぁ、歩きにくかったやろ~?ありさはんがお座敷出てる間に、あとでうちの男衆にゆ~て直さしとくわ、心配せんでええでぇ~」
「おかあはん、お~きに~。よろしゅうに~」
「ありさはん、それはそうと、大阪丸岩物産の社長はん、もう早ようから来て待ったはるえ~。今晩は
待ちに待ったあんさんの水揚げやし、社長はんもえらい意気込んだはるみたいやわぁ~」
「・・・」
「どしたん?あんまり嬉しそうやないなぁ?」
「はぁ」

 女将に尋ねられて、ありさの表情が一瞬曇りを見せた。

「ありさはん、こんなことゆ~のんなんやけどなぁ、あんさんは屋形“織田錦”に入ってから、どれだけお母はんのお世話になったか解かってますんか?あんさんを立派な舞妓にするために、たんとお金を掛たはるんやで?ご飯代、べべ代、お稽古代、おこずかい、ぜ~んぶ、お母はんが出したはるんやで?」
「かんにんしておくれやす、うちが間違ごうとりました」
「解かってくれたらええんや。さぁ、社長はんが待ったはるでぇ。はよしいやぁ~」
「あ、はぁ」

 ありさはおこぼを脱いで玄関にあがった。
 脱いだおこぼを揃えようとして、白いハンカチの鼻緒をふと見た。
 先ほど出会った青年の笑顔がふわりと浮かんだ。

 廊下を歩き掛けたありさに、女将はもう一言付け加えた。

「ありさはん、あんさんは賢い子や。あんまりしつこう言わんでも解かってるやろけど、丸岩はんゆ~たら、関西財界でも五本の指に入るほどの大物どす。そんな旦はんに見初められたゆ~たら、すごいことなんどすぇ~。せやよって丸岩はんに少々何言(ゆ)われても、何されても怒ったらあかんおすぇ~。大人しゅうしとくよ~にな~。ほんでな、今日、いっしょに来たはる先輩芸者はんら、あの子ら、水揚げされるあんさんにヤキモチ嫉くかも知らへんけど、気にしたらあかんおすぇ~、よろしおすなぁ~」
「お母はん・・・、うちのことそないにまで思てくれたはって、嬉しおす。ほんまにおおきに~。お母はんの言わはったこと、よ~憶えときますぅ~」
「ほな、きばっておくれやっしゃ」

 女将おみよがありさを見てニッコリと微笑んだ。

「おおきに~、ほな、行て参じますぅ~」

 ありさは、女将の言葉に少し吹っ切れたのか、笑顔を取り戻し丸岩のいる部屋に向って行った。

「ありさどすぅ~、遅うなりましてぇ~」
「おお、ありさか。よう来た、よう来た。待っとったでぇ。はよ入りや~」

 襖の向うからのありさの挨拶に、部屋の中から丸岩の声が返って来た。

 ありさは襖を開けて、丁寧な挨拶を述べた。
 丸岩の前には豪勢な料理や銚子、それに選りすぐりの奇麗どころの芸妓衆が三味を弾き、踊りを舞い、かなり華やいでいた。

「ありさ、かたい挨拶はもうその辺でええから、早ようこっちへおいで」

 丸岩は今年五十八才になるが、さすがに一流の事業家らしく血色も良く、体格も立派で五尺九寸を超えるほどの大男であった。髪はふさふさとしていたがかなり白髪混じりで、鼻の下のちょび髭までが銀色に輝いて見えた。眼鏡は金縁で顔全体からは好色さが滲み出ていた。

 ありさはしゃなり、しゃなりと着物の裾を艶かしく床に滑らせながらお座敷の奥へと歩み寄ると、先輩の芸妓春千代がありさを睨みながら言った。

「ありさはん、えらいおそおすなぁ~。あんさん、いつから芸妓のうちらより、えろ(偉く)なりはったん?」
「あ、春千代はん、かんにんしておくれやす。お母はんに6時でええゆうて・・・」
「お座敷の時間はちょっと早め目に来とくのん、常識とちゃいますんかぁ~?」
「すんまへん・・・」

 ありさは春千代に頭を下げた。
 そこへ丸岩が口を挟んだ。

「まあまあ、春千代。もうやめとき。わしの顔に免じてもう堪忍したって」

「会長はんがそない言わはるよって、もう言いしまへんけど、次から気ぃつけてや」
「はぁ、すんまへん、以後気ぃつけますよってに堪忍しておくれやす・・・」

「よっしゃ、よっしゃ、ほな、ありさ、はよ、こっちにおいで」

 丸岩はありさを手招きし、横にはべっていた芸妓おきぬに席を空けるように指図した。
 お絹が退いたあと、ありさはそっと腰を降ろした。

「おお,待っとったで、ありさ,お前、見るたんびにええおなごになって行くなぁ。ほな、酌してんかぁ」

 丸岩は相好を崩しながら、気安くありさの肩に手を廻した。
 ありさは頬を染めらながら徳利を手にするが、緊張のためか丸岩の持つ猪口にまともに酒を注げない。
 そんなありさの初々しい様子を、丸岩は満足そうに微笑みながら話し掛ける。

「そんな緊張せんでもええで。気楽に行こ、気楽にな。わっはっはっは~」
「はい・・・」

 ふたりの様子を見ていた芸妓の春千代が一言挟んだ。

「いややわぁ、会長はん。うちら妬けるわぁ~」
「ほほぅ~、春千代ほどのべっぴんでもやきもち妬くんか?」
「会長はん、相変わらず口が上手どすなぁ~」
「はっはっは~、ばれたかいなぁ~」
「もう、会長はん!いけずどすなぁ~」

 そんな会話のなか、ありさを横にはべらせ満悦顔の丸岩会長に芸妓のおきぬが一献勧めた。

「会長はん、今夜はありさはんの水揚げどすなぁ。おめでとうさんどすぅ~。ありさちゃんも良かったなぁ~」

 おきぬはありさが今宵の水揚げを嫌がっていることを知っていたが、あえて皮肉っぽく祝辞を述べたのだった。
 だが丸岩はその言葉を額面どおりに受取り素直に喜んだ。

「おおきに、おおきに」

 おきぬは差し出された漆塗りの盃になみなみと百薬の長を注ぎ込む。





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