パンティ 涙のルーツ




 パンティは本来は女性の下ばきを総称して、パンティーヌといっていた。
 イタリアの女性が使い始めたのが最初とされているが、18世紀ごろまでは踊り子や窓拭きの女性が使用していたにすぎなかったようだ。

 日本女性の着用も大正末期からの洋装の流行に伴って一般に普及した。

 さて、パンティの前身ズロースは、英語ではドロワーズまたはドローズで、ドロウというのは引っ張るの意味だから、まさに的を得たネーミングと言えるだだろう。
 これは14世紀末にフランスの宮廷夫人が用いたのが始まりと言われている。
 日本人女性としては、明治4(1871)年にアメリカへ留学した津田梅子ほか5人の女性が着用したと言われている。  しかし当時、日本ではまだ和服と腰巻きの時代だった。  大正12年に関東大震災で累々とした女性の死体の乱れは見るも無残だった。

 それを見て、ボーイスカウトが「女性よ、改良サルマタをはきたまえ」と説いて回ったが、女性は下着を着けない便利さを重んじ、普及しなかったという。
 その頃、パンティの前身であるズロースと言うものは、あるにはあったようだが、洋服の下へ着用するものであったから、ごく一部の人しか穿けなかったようである。
 と言うのも、当時の衣服は着物がふつう。
 洋服は高価なものだったことも普及しなかった要因のひとつであろう。

 ところでそのズロースなるもの。
 広く普及した理由が極めて悲しい事件に起因する。
 それは昭和7年(1932年)のこと。
 当時、東京の日本橋に白木屋と言うデパートがあった。
 12月16日のこと白木屋デパートで火災が発生し、死者14人の他、多数の重軽傷者が出た。
 ズロースを穿いていなかった和装の女店員が、5階からロープを伝わって避難する際、裾の開くのを気にして片手でしかロープにつかまれず、転落死してしまったのだ。
 何とも痛ましい事件であろうか。それに当時の日本女性の「恥じらい」とは何とも凄まじいものであろうか。
 この火災をきっかけに、洋装やズロースが奨励され、一気に普及することとなったのである。

























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