さよなら童貞君



神戸ハンター坂


自分で言うのも何だが、僕の高校時代というのは実に純情なものだった。
彼女と歩くときも10cmは離れて歩いた。
もちろん高校3年間は童貞を守り抜き(希少価値?)、19才になってやっと捨てることになった。
読んでおられる皆さんはきっと「え?うそ!Shyが?冗談じゃないの?」とおっしゃるかも知れない。
でも嘘じゃないんです。

で19才になってから付合い始めたのが20才の女性であった。
彼女はすでに働いていて、デート代はほとんど彼女持ちだった。(恥)
その彼女をA子と言うことにしておこう。
A子は神戸の女性で小柄ですごくスリムな人だった。
それにとてもお洒落で、神戸オリジナルブランドで身を包んでいる姿が、たったひとつ上だけなのにすごく大人の女性に思えたものだ。
僕自身大学が神戸だったこともあって、デートはほとんど神戸市内だった。

デートの前夜は眠れないほど心がときめいた。
その頃のウブな僕は高校時代から全く変ってなくて、手を握って歩くことも、腕を組むことも出来ないほど照れ屋だった。
ところがA子は三宮(神戸の玄関駅)で待合わせ直後、無言で腕を絡めて来た。
僕はもうそれだけで、張り裂けるんじゃないかと思うほど胸が高鳴った。

夜も更けて、中山手にあるカソリック教会の前でふと立ち止まり、A子はポツリと言った。

「私ね、いつの日かこの教会で結婚式を挙げることが夢なの」

結婚というものを意識すらしたことのない19才の僕は返す言葉が見つからなくて、「ああ、そうなんだ」と素っ気無く答えたように記憶している。

僕が童貞とさよならしたのはその夜のことだった。
A子は手順も何も知らない僕をとても優しくリードしてくれた。
ふたりとも裸になって、ぎこちないキッスから始まった。
愛撫の仕方すら知らなかった僕に、A子は自ら手を副えて、

「こうするとね、女の子はすごく気持ちがいいのよ。いやん、ちょっと強すぎるわ。もっと優しくしてね。いいこと?」

そんな調子で前戯を教示されている最中だと言うのに、早くも僕はイチブツはギンギンに怒張し発射寸前になってしまっていた。
A子はそんな僕を直ぐに悟って、愛撫もそこそこに早めに挿入をさせてくれた。

初めてA子と結ばれた時の体位は騎乗位だった。
何のノウハウも持たない男が初めていたすスタイルが騎乗位とは、ちょっと意外かも知れない。
それが女性にとって最もリードしやすい体位であることを、後になってから知ることとなった。

いきり立ったイチブツをA子の花びらに埋没させる瞬間、僕の頭の中は真っ白になっていた。
何が何だか分からないまま、結合を果たした。

(うわっ、入ってる~!A子の身体の中に入ってるんだ!すごい!!)

などと思った瞬間、顔も身体も熱病にかかったように熱くなった。
それからカウントダウンできるほどの短時間で、あえなく発射してしまったのも仕方ないだろう。

しかしそこは天下無敵の19才。直ぐに回復を見せた。(笑)
果てても直ぐに元気になり、何度も何度も挑んだ。
お陰で正常位もその日のうちに会得してしまった。
その日、彼女自身が気持ちが良かったのか、大したことなかったのか・・・
無我夢中の僕が知るはずもなかった。
それから後、A子とは何度となく肌を重ね合った。

「Shy君、上達が早いわね」

って言ってくれた時、嬉しい反面すごく照れ臭かった。

そのA子、何とそれから半年後に結婚をしてしまった。
相手の男性はA子より5才上だった。
後日分かったことだが、僕と初めてA子と結ばれた時、すでにA子にはその彼がいたようだ。
つまり、僕はつまみ食いされただけだったの?
僕は正直いって傷ついた。
結婚相手がいるのに、どうして僕と恋愛(ごっこ)をしたのだろうか。
そのことは以後もずっと謎のままだったが、A子としては結婚する前にもうヒトハナ咲かせたい、という遊び心がそうさせたのかも知れないと、後々考えるようになった。
いずれにしても真剣な恋愛と思っていた僕としてはかなりショックであった。

A子とよく行ったカフェ・・・その後、懐かしさもあって1人で訪ね、思い出に耽っていたこともあった。
しかし、あの悪夢の大震災でカフェは全壊したのか今はもう無くなっており、1軒のケーキ屋さんに姿を変えていた。

ケーキ屋の店員の笑顔がなぜだかA子にダブって見えたのは錯覚だったのだろうか・・・








中山手カソリック教会
(阪神大震災で崩壊し、今はもう見ることができない。
震災直後の写真)









エッセイ集

トップページ







inserted by FC2 system