Shyrock作







 僕は週末の午後を街角のある喫茶店で過ごしていた。
 酸味の強いストレートコーヒーと店内に流れるピアノの響きが気に入っていたから。
 今日流れている曲はベートーベンのピアノソナタ30番。
 冬の寂しさとベートーベン後期のピアノの孤高の響きがよく似合う。
 1楽章の主旋律の柔らかで速い動きが耳に心地よい。
 僕はコーヒーを啜りながらふと窓際に目をやった。
 古い欧風の窓からは、温かな春を思わせる陽射しが店の奧まで深く入り込んでいた。

 窓際では女が1人で本を読んでいた。
 黒いセーター、黒い長めのスカート。髪の長い女だ。
 表情が軟らかく、耳たぶのダイヤのピアスのワンポイントがいい。
 真剣な目が活字を追っていたが、ときおり顔を上げた。
 白っぽい顔に濃いめの口紅が、女の表情を引き締める。
 黒は女を美しく見せるが、この女は実際に清楚で美しかった。
 僕は本を読む女の姿をもう一度じっと見た。
 黒い丸首のセーターから伸びる白い首筋は細い。


 ふっくらと膨らむ胸の辺りのコントラストが女の胸の形をなぞっていた。
 ウエストは適度に細く、腰はよく分からない。
 机の下で組む黒っぽいスカートと黒っぽい靴の間もやはり黒っぽいストッキングが出ている。
 女は黒で決めている。
 顔と手の先だけがなまめかしい白い肌の色を見せていた。

 僕はもう一度頭の先から足の先までを見直した。
 そして目を瞑った。
 目を瞑ると女の身体の形状が目の前に浮かぶ。
 下着はきっと黒。
 色だけは確信が持てる。
 ほとんどの女性が、アウターとインナーは同系色にするのが習性だから。
 漆黒の黒いレースが女には似合いそうだと思った。
 黒い膝丈のスリップの下に、黒いレースのブラジャーとフレアーのパンティーを穿いているような気がした。
 種類まで当たっているかは自信がない。
 脱げば、顔と同じように透き通るような白い肌で、胸は大きくもなく人並みで、ヘアも薄いタイプのような気がした。

 僕は再びちらっと女の姿に目をやった。


 そしてコーヒーを再び啜った。
 自分の行動の選択をじっと考えた。
 声を掛け、想像が正しいかを確かめる術はあった。
 僕は過去を思い返した。
 情熱的に行動にたびたび出たことも前はあった。
 ほとんどの女は僕の申し出を拒絶しなかった。
 本能的に、落とせる女と無理な女は大体分かる。
 あの黒い服の女はきっと落とせるだろう。

 女と言うものは、時には内心で男との新しい出会い・逢瀬を期待しているものだ。
 特にすました女ほどその傾向は強いもの。
 冷たい感じでプライドの高そうな女ほど実は可能性は高い。
 誰もが敬遠しそうな女こそ狙い目なのだ。
 砕くのが大変だが砕け始めると実に脆いもの。

 しかし……と僕は声を掛けなかった。

 大抵の女は着飾っている時がもっとも美しく、もっともエロチックである。
 話をすると、その美しさの半分が失われることも多い。


 全てを脱ぎ去ったときには、象牙色の肌にはエロスのかけらも残っていなかった。
 どこで失われたのか、美しくもなかった。
 女としての機能は果たしても、僕の期待した心にしみ通るような何かは得られない。
 ほとんどが……。
 ただ虚しいだけだった。
 これは僕が過去の経験で得た真理である。

 結局、今日は真実を確認する替わりに、静かにコーヒーの最後の少しを飲み干した。
 ベートーベンのピアノは30番の3楽章の終わりの方に入っていた。













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